交通事故で緊急入院!

突然の入院で学んだこと
今日、ケガで病気で入院するかもしれない!誰でもあり得ることだからしっかりと対策をしておこう。

24 6月

Posted in on 24.06.20

二年ほど前、散歩をしていた時のことです。横断歩道を渡って、反対側のコンビニに向かっていました。信号は青、安全も確認していました。あと少しで渡り終えるというところで、体が宙に飛びました。宙に飛んだ私はアスファルトに激突したのです。その時は衝撃も痛みも何も感じませんでした。

何が起こったのかもわかりません。一瞬、意識を失ったのかもしれません。しかし、意識が戻った時、車から高齢の男性が降りてきていました。大変うろたえながら、私に話しかけています。場所は道路です。このままでは危ないと思ったので、ほふく前進でなんとか歩道まで移動しました。その間も、男性は私に『どうしたらいいですか?』と聞いていました。

救急車で病院に担ぎ込まれると、すぐに処置が始まりました。レントゲンを撮った事を覚えています。意識はしっかりとしていたはずですが、私自身体中の痛みと家族のことが心配で、何かを考えなくてはと思いながらも、何も考えられない状態でした。しばらくすると、先生から大腿骨にヒビが入っていることを伝えられました。本来ならば、複雑骨折になっていてもおかしくない状態だったそうです。

このまま家に帰ることもできず、すぐに入院が決まりました。車椅子に乗せられ、ベッドが空くまで待っていて欲しいと言われました。看護師の方に体中が痛いと言いましたが、相手の車が低速だったにしても、アスファルトに激突しているので、打ち身による痛みはありますということでした。確かに、言葉通り体の痛みは1~2日で消えました。

入院は3週間に及びました。その間、たった一人の家族である娘が、毎日見舞いに来てくれました。娘の手にはふたり分のお弁当があります。病院の食事は、あまり栄養を考えたものとは思えませんでしたし、できるだけ糖質を抑えた食事を心がけていた私には問題が多かったのです。

特に肉がメインだったこともあり、肉が嫌いな私には辛い以外の何もありませんでした。それをわかっていた娘が、今まで料理などしなかったにも関わらず、作ってきてくれたのです。おかげで、野菜中心の食事を毎日とることができました。娘の優しさに、我が子ながらよく育ってくれたと感謝しました。

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優しさといえばもう一つあります。看護師の男の子です。3人ほど男性の看護師がいたのですが、その中の一人が体を拭くためのタオルを配っていました。もちろん女性の部屋ですから、拭いてもらうわけにはいきません。しかし、その男の子は「清拭は看護師の仕事だから」と一人ひとりの患者さんを拭かなくてはと思っていたのでしょう。私が自分で拭いて、タオルを渡したとき『ありがとうございます』と笑顔で言ってくれました。その爽やかな笑顔に癒されました。

リハビリも始まりなんとか動けるようになると、痛いながらも杖をついてトイレまで行けるようになります。もう少し頑張れば家に帰れる、そんな時のことでした。整形外科というのは、入院患者の入れ替わりが多いようで、新しく入ってきた方がいました。歩くことはできるのですが、多少認知症の症状があるようでした。家族の方が毎日来るのですが、その世話も大変なようです。

気を抜けば、毎日飲んでいるサプリメントの何回分もの量を一度に飲んでいたり、水をベッドにこぼして大騒ぎになっていたり、夜中に誰かと話しているのかと思ったら、大きな独り言だったりと、とてもにぎやかでした。ある夜、何かが倒れる音がしました。そして、うめき声です。なんだろうと思った私はベッドから降りて、カーテンを開けます。すると、先ほどのおばあさんがベットから落ちているように見えました。すぐに声をかけ、ナースコールを押しました。

看護師がすぐに来て、ベッドに戻していましたが、どうやらトイレに行こうとベッドから降りた途端椅子につまづいて倒れてしまったようです。そんなことが重なり、とうとうおばあさんは退院していきました。おばあさんが退院すると、病室の誰もが口を揃えて『これでゆっくり寝られる』と言っていました。

・親のありがたさを改めて実感

昨年7月に自家用車にて出勤中、落石に乗り上げバランスを崩したことによりガードレールにぶつかる事故を起こし、自ら警察と救急車を呼び、病院へと運ばれました。自分自身の感覚では、エアバックが出たため、軽傷で入院するほどのことはないだろうと考えていましたが、診察を受けた結果、入院することになりました。家族が駆けつけて、入院手続きや職場への連絡を行なってくれたため、私は安静にして治療に専念することができたので、助かりました。

病院に着いて、レントゲンやMRIなどさまざまな検査を受けました。その結果、骨折はしてはいなかったのですが、右側の腸が腫れ、炎症を起こしていたため、入院することになりました。家族が駆けつけてくれていたため、検査が終わり入院が決まるまで家族が一緒に待っていてくれたので心強く感じました。

入院が決まると父が職場へ再度連絡をし、入院することになった旨を伝えて、母が入院生活に必要な準備をしてくれたため、私は余計なことを考えずにベッドに横になることができました。治療としては、腫れと炎症を抑えるための点滴を24時間投与し、ベッドに横になりながらの絶対安静でした。また、ねんざには湿布薬を貼って、すり傷の消毒なども行なってもらいました。

入院中は、とにかく家族のありがたさや看護師さんの優しさが身に染みました。正直、大人になってからは、1人で自立して何でも自分でこなしてきたので、親の存在が自分の中で小さくなっていました。しかし、入院生活を通してさまざまなことに対してサポートしてくれ、親がいたからこそ、入院生活を乗り切ることができました。

同時に、「自分1人で何でもできる」と考えていた自分自身の傲りに気がつき、反省しました。このように、家族のありがたみは入院生活を通して、改めて感じました。また、看護師さんが点滴の交換の際や食事の際などに、私の気が紛れるような、ちょっとした笑い話などをしてくださったため、退屈で心細い入院生活の中でも息抜きをすることができました。

この入院を通して、私は自分の弱さと「人は1人では生きていけない」と言うことを改めて実感しました。事故はマイナスの出来事でしたが、得るものもあったので、完全なるマイナスではないなあと思います。実家と遠く離れていて頼る友人もいない場所でもし事故にあっていて誰も助けてくれなかったらどうなっただろうと、思います。

入院中に怖かったことは、やはり夜です。個室だったので、尚更夜の病院の怖さをひしひしと感じ、入院して数日間はなかなか眠れず、夜中に何度も目を覚ましてしまいました。そして、シーンと静まり返った中で、パタンやキーッと音がするたびに身を固くしながら、目をギュッと瞑り耐える、と言った具合でした。

昼間も自由に動き回れないのでベッドの上で過ごすことが多くほとんど寝ていたので余計に眠れず、だからといってテレビを見るのも音が漏れたら迷惑だし、と目をつぶって眠るのを待つしかありませんでした。頭は冴えているので音を聞くたびに今のは何の音だろうか、と考えて、怖い想像ばかりしてしまいました。

入院中に困ったこと言えば、入浴や洗面が自由にできなかったことです。普段、どんなに体調が悪くとも、酔っていようともお風呂に入らないと気が済まないタイプだったため、かなりのストレスになりました。頭の痒みや肌のベタベタが気になり出すと、もう、いてもたってもいられない気分になりましたが、どうにもならず、ただ悶々としていました。

しかし、慣れとは恐ろしいもので、次第にそれほど気にならなくなり、自分の中の衛生感覚が変わったように思います。そんな中で、温かいタオルで顔を拭く時は何よりの幸せ感に包まれました。その時の感覚は、今でも鮮明に覚えています。